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雲を観ず

雲を見るなら時間をかけるのが良い。 目が慣れてくるにしたがい、グレーの濃淡の味わいが増す。 同時に、ひとかたまりの雲の中に、階層や前後関係、奥行きの違いなどを見分けられるようになる。 想像をめぐらせ、その形を未開の台地にたとえるも愉快であるし、動物や物に置き換えるのも楽しい。 墨絵のように鑑賞するもいい。やがて鮮やかな色彩がとりどりに心に映されていく。 実際、灰色の階調の中に様々な色を見つけることもできる。それが夕焼け朝焼けであればなおのこと。 そしてすべては時間の移ろいをもって変化してしまう。 気に入った色も形もとどまることはない。 絶妙な象りは、細かな輪郭をもち記憶にとどめておくのもむずかしい。 雲を見ることは時間を見ることであり、消尽してゆくものを後追いする、はかない愉楽の連なりだ。

境界の絵

芸術の「何が」、どういう要素が、人の心に入りこみ、感覚を刺激し、記憶に残されていくのか? 錬金術でいうところの賢者の石、レヴィ=ストロースの神話素、ユングの集団的無意識・・・。河合隼雄は「無意識に形態はない。反応しようとする様式があるのみ」と指摘している。 つまり図を描くことはかなわず、地(背景)を埋めていくことでぼんやりと輪郭が生じるだけ。それを亡霊と言ってもいいし、ルブナン、境界と言ってもいい。 感覚の心理のハンプティダンプティ だ。 (※壁の上に座って落ちそうに揺れている玉子の形をした奇妙な人物) さて、絵を考える。 こういう実験はどうか。 具象画と、抽象画。そのぎりぎりの境い目にあるような絵 をたくさん描き連ねてみる。 これを1枚ずつ鑑賞してもらう。 数日たって、印象に残っている絵があるか をたずねる。 それは好きな絵ですか、好きではない絵ですか? 人間は人間が好きなので(種の保存上の必然)、人の要素が入っている絵 はまちがいなく好成績を収めるだろう。これは予想できる。 嫌いなのに印象に残ってしまう絵 これは興味深い。 我と我が意に反して、不快の絵の何かが染みのように心にこびりついてしまうことがあるとすれば それはもう心理学、カウンセリングの領域。きわめて個人的な・・・ しかしそこまでは触れるまい。関心の的は人でなく、描かれる絵なのであるから。 年の後半、このような絵を多く描いてみた上で、パノプティクな装置として鑑賞者の声を聞いてみることにする。・・・前回の記事「今年の計画書き」への追加。