投稿

2013の投稿を表示しています

2013年 年末のまとめ

身体に絵を描き表現する目論みはかなわず、年末を迎える。 今年の総括を。 印象的だったのは、9月の個展。 オルガンヴィトー塔嶌さんのお力を借りて、満足いく会場作りができた。 もうこれ以上の、手間ひまお金をかけた個展はやらないだろうと思う。 ご高覧いただけた皆さまには、ずっと記憶に残していただきたいと切に願う。 絵描きライブは、実にバラエティー豊か。 『Hyoruka』、『互感ライブ』、テールエヴィ店内への絵描き 2回、 『蝸牛の音楽教室』。まったく違う経験、愉しみがあった。 身体性について。 肌に絵を描くことに関して、AZUさんにお話しをうかがったのも収穫。 そこには「祈り」があるというお話。 4月にはフィギュアスケートを生で見て、得るものがあった。リンクは1枚のタブロー。 演劇は『大きなトランクのなかの箱』『幻探偵2』が最高に良かったが・・・ 身体性と、劇場・役者の関係性など、私が求めているものに対する答えはそこには 見当たらなかった。 路上絵描き。直接的・刺激的な体験。 ここから始まった交際や、一瞬の出会いと別れ、絵を街の空気にさらすこと。 すべては描くこと、生きることへの欲求につながる。根本的なもの。 攻撃的であり、友愛であり、刹那の夢、あるいはなんでもないこと。 以上、今年の制作物は、「立体絵」「奇人圖譜 百八體」「作品集2」「カード絵」 それに 路上で描いた絵、机上で描いた絵、ライブで描いた絵。 最後に。 出来上がった作品自体が、作者に催促して個展をやらせたり、時にはなんと 作者を罵倒したり軽蔑することが あり得るのではないか? ・・・という気がしている。 2014年。 計画もできているし、プロジェクトとしてすでに進行しているものもある。 詳細はまた年明けにご報告。 色彩は、やります。

個展より〜⑦『夜を抱えたフクロウ』

イメージ
『夜を抱えたフクロウ』 (クリックで拡大) 『夜部』(主催:こまさん)のための絵。 フクロウの眼は闇夜に広がりゆきて、夜そのものを吸いこむ。 はたしてその身体に夜が宿っているのか、 それとも夜そのものがフクロウなのか。

個展より〜⑥『回』

イメージ
『回』 (クリックで拡大) 「回」という字は面白い。漢字より記号らしい。 新しいペンが「かすれず書ける」というので、 紙面いっぱいに螺旋の線を描いていってみた。 線がかすれるか、私が手を離してしまうか、の勝負は引き分け。 線の間隔が開いたり狭まったり、心の動きまでも投影されている。 単純な絵なのに、個展ではじっくり見ている方が多かった不思議な作品。

個展より〜⑤『小爆発する空間の蝸牛』

イメージ
『小爆発する空間の蝸牛』 (クリックで拡大) このカタツムリは逆さ向きです(宇宙空間なので天地左右の別はありません)。 首と殻のあいだのくびれ付近で、矮星の強烈な爆発が起きています。 ガスが空間に充満し、むせ返るばかりの濃さ。 「四角い紙の余白を一応うめてみましたよ、四角い絵に仕上げましたよ」 というくらいの意図で描きこんだまでです。(本当は紙幅なんてくそくらえです)

個展より〜④『迷宮卵をもつ蝸牛』

イメージ
『迷宮卵をもつ蝸牛』 (クリックで拡大) カタツムリは雌雄同体だそうです。 このカタツムリは、右下部分に迷路でできた卵を内包しています。 あとはビルや滝や吊り橋もあり、花火が上がったりしているので とても大きなカタツムリなのかもしれません。

個展より〜③『蝸牛と蛙』

イメージ
『蝸牛と蛙』 (クリックで拡大) 顔に迷路のあるカタツムリ(漢字で蝸牛)。 蛙を狙って涎をたらしているのであるが、どちらも呑気な風情。 カタツムリの殻が髑髏めいて見えるのは、生と死の滑稽な暗示か。

個展より〜②『ケンタウル』

イメージ
『ケンタウル』 (クリックで拡大) ケンタウロスに形が似ているというだけ、タイトルは後付け。 新しい線をみつける、その瞬間に絵を描く喜びがある。 左下部分がそう。「出てきた!」と思ったとたん、手が止まってしまった。 その思いが、あの余白に密々と充満している。 「蝸牛シリーズ」へと続いていく、発端となった絵。

個展より〜①『下北沢喧噪図』

イメージ
今回から少しずつ作品を、ネットの海に浮かべてみます (煤田さんとも約束しておりましたので) 。 実体験する鑑賞には遠くおよばないと思われますが、このような形でも皆様の心の奥に 引っかかる不思議な何かを残せますようにと願って。 『下北沢喧噪図』 (クリックで拡大します) 下北沢の南口商店街という、最も人通りの多い場所で路上絵描きをした作品。 電車、駅、道路、階段、ビルなど、街が分身となって絵の中に入りこんでいます。 だから何だというわけではなく、通行人の脚を止められるか素通りされるか‥‥ そういう一期一会のチャンチャンバラバラなのです路上絵描きの意味とは。 街の絵はそれが描かれた街へ。近々、下北沢のお店で展示していただく予定です。

青色の奇蹟と個展のあと

イメージ
サマ個展2013、終了。 「私が」ではなく、「描いた絵々」が 「個展をやれ、オレたちを見てもらうのだ」と 私をせきたて働かせた、そんなイベントでした。 「青の奇蹟」という芝居小屋は「思ったとおりに奇蹟」の場。 今回は最高の照明をほどこされ、特に「立体絵」は生き生きしてました。 一期一会。  思いを果たせなかった皆様のためにも、 「奇なる跡(あと)」、つまりキセキを 以下に残しておくことにします。 奥には黒のひな壇があって まるで祭壇のように見えました。 そこには「この1年の私」という亡霊が ヒョウヒョウとまつられているかのようでした。 ご高覧、ありがとうございました。

青の奇蹟(個展会場)への道のり

イメージ
10/12〜14(11:00〜19:00) 13日(日)18:00〜  トークライブ(同じ会場・無料) 下高井戸へは京王線快速で、新宿から8分。 (三軒茶屋から東急世田谷線もご利用できます) 京王線を降りたら、改札口へ。 上りも下りも改札は1カ所だけです。 改札口を出たら、すぐに左の通路へ。角はパン屋さん。 ここを間違えると、外でうろちょろしなくてはなりません。 そのまま階段を下りて、東口の出口へ。 階段を下りると、正面は「世田谷線」のホーム。 ホームへは行かないで、ぐるっとUターンします。 (Uターンしたところ) この電車が世田谷線です。 すぐそばに、世田谷線の踏切。 その踏切の横に、Y字路があるので、 左に行くと地下に「青い奇蹟」があります。 ※踏切は渡りません。 (1階は美容室、2階は居酒屋「きくや」) 改札口からここまで、3分かかりません。 違う出口から出ると、厄介なので、 おかしいな?と思ったら、京王線の改札口から もう一度‥‥がおすすめです。 それではお気をつけて。お待ちしております。 左馬さざなみ個展 2013 ◉会期 10月12・13・14日(土・日・月の三連休)11:00〜19:00 ◉会場 不思議地底窟 青の奇蹟(ふしぎちていくつ あおのきせき) 京王線 下高井戸駅 徒歩すぐ 世田谷区松原3-28-12 地下1階 Googleの地図はこちら

『左馬図画集2』の湯気たつ

イメージ
作品集をまとめています。個展(10/12〜14)で販売。 A4版モノクロ、40ページ弱。 小さな絵も含めて200点以上を収録、すべて新作です。 このごろは、机上制作画はますます細かいタッチになっていますので、 大きな作品は見開きで掲載、少しでも細部を楽しめるようにしました。 (路上制作画も細かいですがやや線は幅があります。) 部数は限定少数。もうすぐ仕上がってまいります。 ※昨年発行の『左馬図画集1』は残数わずかです。こちらも個展で販売します。  作品の制作期間で区切っていますので、この2冊で作品の重複はありません。

2013 個展のお知らせ

イメージ
秋の夜長の奇妙な展示会のお知らせ、です。 ‥‥今年は地下室が会場ですので、真昼に来ても そこは涼しい夜の不思議な空間なのです。   左馬さざなみ個展 2013 ◉会期 10月12・13・14日(土・日・月の三連休)11:00〜19:00 ◉会場 不思議地底窟 青の奇蹟(ふしぎちていくつ あおのきせき)       京王線 下高井戸駅 徒歩すぐ       世田谷区松原3-28-12 地下1階 (!)今回は絵もあり、立体もあり。  ・新作の「かたつむり」シリーズ  ・無限に増殖する「細菌絵」  ・街を取りこんだ「路上絵」  ・「妄想サーカス」シリーズ  ・小さな世界の「カード絵」  ・描く線を立体にする試み「立体絵」シリーズ 増殖しつづける線、終わらないカーニバル、薄明かりの中の不思議な世界‥‥ あなたの視線は絵の中に迷いこんでいき、そこから出られなくなるかもしれません。 (だいじょうぶこわくないです。少々うす暗いだけで‥‥) 世の、お子さま大人さま学生さまお年寄りさまは もちろん 酔狂なる皆々さまのご高来ご万来を、心よりお待ち申し上げます。 ※トークライブも行います。(下記) ※作者の左馬による「トークライブ」は、10月13日(日)夕方6時から8時まで、  同会場にて。 絵のこと、自分のこと、そろいそろりとお話しいたします。  (後半は中島弘貴さんをお招きして対談形式にする予定です。)  もちろん予約なしでも入れます。お気軽にどうぞ。(個展もライブも無料です) ※作品集(1)(2)、オリジナルTシャツ、『奇人圖譜』などの販売もあります。

髪屋の絵描き

イメージ
夏の入道雲の先を曲がったところに それは建っていた。 明るくてにぎやかな。 おしゃべりがブクブクとブヨブヨと 泡(あぶく)のように。 彼女がくれたクッション。 入り口のアクアリウム。 反射するリノリウム。 夕立と日射し。 美容師がやさしくしてくださるので 絵も腑ぬけた様子となりました。 水槽からあふれ出る 一本の巨きな木。

ホワイトボックス

イメージ
大事なもの、見られたくないものを隠すのが、箱。 人様の箱の中身を探ろうとしても、かなわず。 いや、それどころか自分の真相さえ箱の中。 箱をかぶった同士で、わあわあやってはいるが なかなかたいして要領を得ない。 白や緑色の箱を作って、なんでもかんでも ブツ切りにして放りこんでおくのがよい。 おもむろに手を突っこんだら引っかきまわして、 ひっつかんで並べてみれば、この世のことわり からくり等々 わかろうというもの。 やれ ホワイトボックス、それ グリーンボックス。

小さな巨大樹

イメージ
小さくて大きな景色。たとえば 盆栽、ジオラマ、山水画。 この絵はブロッコリー。 湯がこうとして水洗い、おやと思ってじっと見入ってしまった のが、この絵を描いたきっかけ。 子どものころは、蟻の巣穴なんかをずっと見つめて あたかも自分が蟻になった気分で世界の倒錯を楽しんだ。 小を大に、大を小に。遠・近を入れかえたり、高・低をさかさまにしたり。 「かくあるべき」の取り違えをわざとやってみる。そういう楽しみ。

人で、無し

路上絵描きで、初めてお会いした方から「人は描かないのですか?」と 聞かれた。 うれしい質問。いきなり(私の)核心にスパッと。 本当に人は人が好き。飽きもせず人を描く。 画像や絵のサイトを開けば、 人、人、人、せいぜい骸骨、あるいは動物、または人形。 世の中の大勢が人を描き、人を見て、人を読み、人を聞いている ので私は「人」をいったん外に出して置くことにした。 いつか「モチーフとしての人間」というものについて客観的分析ができたなら、 カンバスにドーンと顔だけ、という絵を描くこともあるだろう。 今は 人間だけを描くという「安易さ」に、気持ちを譲れないでいる。 人間/構造物/自然物/宇宙/なんだかわからないもの‥‥ これらすべてを、等しく対等に扱いたい。 それが絵を描くことの正義というか真理というか、本当に面白いものをパッとつかむための 作法のようなものだと思うのだ。 その絵はだから、人で無し、何かではある と私は言う。 絵は 開かれ(花びらのように)そこに置かれ、育ち、 そして最後には(最後があるなら)目覚め、起きなくてはならない。

路上より( 2 )

イメージ
路上での創作は、半分自分であって/半分自分でない。それは街だ。 絵には街が しっかり溶けこむ。 だから「地図?」という声を 背中に多く聞く。 私は「いいえ地図ではありません」と 背中で応える。 もしかすると地図だと言ってもいいのかも しれない。 ‥‥今日は曇天。絵は、存分に視線視線視線を浴びてむくむくと育っていった。 絵は増殖する/終わりなき増殖。目にした者の心の奥底に沈み、しずかに育つ/育ってほしい そうあってほしい と願う。願い、また描く。 それにしても、この街はどこへ行くのか?  巨大なカメの背中にのり、深層心理の海へ。‥‥見た者の無意識から、再びこの絵をサルベージしたい。そういうふうにして、取り出した絵の続きを、また描きたい。描けたら 愉快だろう。 (6.26.追記 : 完成したので画像変更しました)

太鼓たたき vs. 絵描き 『互感』ライブ

イメージ
これは初めて。来る5月23日(木)20時〜。 サトーーーンさん(ドラマー)と私(絵描き)のライブ。 ビートに合わせる絵描きライブは初めて。 サトーーーンさんオリジナルカレーつき。 舌で、耳で、目ん玉で、五感で存分に味わうライブ =『互感』。 できることなら カレー味で、ビートが聞こえてくる、不思議な絵を。 こればかりは やってみなくちゃ わからない。 皆様方には、ぜひともお立ち会いいただきたく。 (追記)ライブ終了、皆様に心より感謝。奇跡は起きず。専ら笑いが起きましたね。    「まずいきなり祭りがある。その後、ちょっとずつ調整していくもの」だそう。 会場では『奇人圖譜』新刊(128ページ)も!

洋服店の壁に絵を・・・

イメージ
シベリアの広大な荒野を飛行機からずっとずっと眺めていて突然現れた色味の鮮烈な印象を、 その店のオーナーは私に語ってくれた。その方の心にしみこまれ にじんだその色を受けてできたのが 「 terre-et-vie 」(テールエヴィ、大地と生命)という名の洋服店 。その壁に私が絵を描く。 ‥‥壁画! ここはひとつ、ルネサンスの画家になった気分でいきたい。 今まさに円熟の極みを見せているアコーディオン奏者のオランさん。当日はその夢見るような香りを、 私の絵描きにふりまいてくださる。それは4月17日、もうすぐそこ。 オランさんのライブに参加させてもらったのは、 昨年の4月4日 。それが私の絵描きライブ デビュー。 (オランさんは歌も演奏も素晴らしく、圧倒的で魅力的。常に私の遥か遥か彼方の雲上をゆく。) 私はそれから色々な方とのライブや共作、自らの個展などをおこなってきた。それはそれは長い1年。 私の中では、もう存分に絵描きライブをした心持ち。そろそろ 区切りをつけるときかもしれない。 (追記) 楽しく盛り上がってライブ終了。オランさんと音楽、更に皆さんがいたからこそ の作品。 それだけはいつも変わらないし、そうやって生まれた作品は幸いそのものなのです。

夜宴/不思議地底窟より

イメージ
その地底窟は、青の坑道。妖しい灯明が描きだす影と闇。 その夜宴も 魔女らの邂逅から始まった。 黒い旅人が迷いこみ、岩窟に音の符号を刻みつける。 魔女が妖艶な侵入を開始、絵に干渉する。 音の魔女が冷ややかに ふたりを見比べている。

ソリッド・ステイト

イメージ
あまり伝わっていないので、もう一度。 今年は「立体で絵を描く」「立体に絵を描く」。 正面から しか 見られない絵(平面)ではなく どこからでも眺められる絵(立体)を作ります。 それはこんなふう。 思いのままに立体を「作画」していく。 これはあくまでも 彫像ではなく絵 なのです。 この世界は面白いですよ。 ※追加 2013.4.6 ※追加 2013.4.13

究極の絵

イメージ
究極の絵はなんですか? それは 「絵を描かないこと」 だと思う。 (パラドキシカルにアンチモニーに) 撮影するように 演奏するように 歌を詠むように 花を生けるように 絵を描いてきたけれど 線を引いてきたけれど そういう意識がますます尖っていくと 外の景色など眺めながら ふと想像してしまう、 きわめつけの描く行為とは、もはや 「描かないで描くことだろう」と。 まるで禅問答‥‥so,so. 幕が開くと 私は何もない空間にいて 何もない中空(のカンバス)に 踊るような仕草(見えないインク)で 絵を描く。 観客は指先を見つめている。指の軌道が描く見えない絵を きっとそれぞれの心に「思い描いて」くれることだろう。 そういうパフォーマンスをやってみたいものです。 oran+Emori