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6月, 2012の投稿を表示しています

内面は歌わない

と笹山さんは言った。昭和歌謡デュオ「泊」のボーカルである。 相棒の武村さんが「あいつは今のモリッシーやと思うてます」「じゃあ今のザ・スミスって一体なんやろという話なんですけど」藤山一郎なにするものぞの二人組みがザ・スミスになる日。その間をつなぐ変換装置ってなんやねん? の混沌が武村さんの中にある。この混沌はひどく刺激的だ。 別次元だからこそ、つなぐことで面白愉快が生まれるんちゃいますか? であるし、全然ちがうと思ったけど同じじゃん! という発見もあるやもしれない。とかくおつむは柔らかくありたい。ほな。 「泊(とまり)」は2002年に大阪で結成された 笹山鳩さんと 武村篤彦さんの異色昭和歌謡ユニット。 サイトはこちら。

まだ描いてないが もう描いてしまった絵

サマ式 山水画を描こうと思っている(いつも)。うねくる大地に、有象無象万象、こまこま描きこんだ大迷図。風景のマンダーラ、パノラマ大伽藍。絵の中に迷いこみ遊び呆けられる、永遠の空間。まさに桃源境、悦楽至極。‥‥のイメージが、私の頭の中には雲のごとくにわいているし、あなたもそうかもしれない。 これからそういう絵は描く。でも、なんだかもう描いてしまったかのような心地がする。ただ「表明」だけがあって、実際にはない作品 は、確かにある (ないけど、ある) 。そういうものを満載した妄想博物館が、胎内から宇宙まで永遠にくり返す入れ子として、ここかしこ 宙をさまよっているのでございます。 (と カルビーノ『見えない都市』を気取る)

読まれる? 読まれない?

       その文章を「読む」「読まない」の基準は何だろう。あるいは、ワンクリックの重さ。「リンクからどうぞ」とあっても人はクリックしない。コメントはもっとしない。見えない壁。だからこのブログはクリック不要で、ケバケバしく、こんなにも丸出し。大声で叫ぶ記事、小声のつぶやき、たれ流すスライドショー、のさばるイラスト。つまり 不安 なのだ。盛ること詰めこむことで「壁」をぶち破れる? それはわからない。‥‥暗闇に石を投げかけている いつも。   

スキマカードの術

イメージ
このようにカード*に絵を描いている。 日常が多忙になると(野暮な謂いだが)絵を描くまとまった時間がない。そこで小さな絵を描く。5分10分、スキマ時間で描く。欲求不満もおさまり、なかなか調子がよい。 仕事が詰まっているときにかぎって発想が湧く(心そぞろに)。さっとカードに描く。不可思議な夢を見たら、それもカードに。Twitterで読んだだれかの面白いつぶやき。またそれも描く。 描いたらネットに。反応があれば快哉、ニヤニヤ。‥‥おっといけない、仕事に戻らなくては。 * 5×3インチ(125 x 75mm)の 「 歴史的」サイズ 。 図書カードや情報カードのたぐい。 追記) こちらのサイトにカードをまとめました。http://sama-mode.overblog.com/

イリュージョン*

と、立川談志さんが独自の言い回し。 「なんだかわからないもの」 本当のところはなんだかわからない。人間の考えも存在も、 突き詰めれば、自分たちにはもうわからない。 わからない何かに、おかしみが生まれる源泉がある。 愚かしさ、哀しさ、滑稽さ、尊大さ。 みな  幻想的な何か  から生まれるのだろう。 *イリュージョンは、白い幻想、黒い幻想は、デリュージョン。デリュージョンも面白そう。

(瞬間的な かわいげのない)改訂!

ブログって何だ? 「初心」 *に立ちかえり、ここをリニューアルしました。 お目々をおっぴろげて、ご覧あれ。 (スマフォじゃわからないよ!) *(blog 最初の記事より) ここは自分の庭として、思いつくままを書き、書くことで満足し、 あるいは削除したり、書き直したりするだろう。 私があらわになる場。こころのころもを脱ぐ洗い場 。 無知やら愚鈍さやら、わららわららと零(こぼ)れていく。 ビスケットを食べたあとのジュウタン、みたいだ。 デザイン変われば、以前の記事のニュアンスも伽藍!と変わる。ご覧のとおり、出しゃばり・素っ頓狂(すっとんきょう)なブログにメタ盛り。大きな文字はダテじゃない。金波銀波の波こえて遊ぶクジラの白面さ。ググッと画面を広げてギラめく曼荼羅模様。極楽極彩・森羅万象、何でもござれ‥‥の 始まり始まり!