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good one

はじめて GWANさん のライブを聴きに。 一曲目、ボロロン‥‥と『存在の確認』だ。 いきなり確認されちゃうのだろうか、と不安がよぎるものの、そうではなくて「あっちの」「あっちには」とゆっくり指をさすように、世界を眺めわたす歌だった。かわいらしい女の人をうたった歌や、『酒飲みの唄』みたいな曲もよかった。ジャブジャブ酒を飲んでこないとうたえないような歌だと思う。酒飲みは仕方ない、ゆるしてやってよ。ぼろぼろだけどそれが幸せなんだよ。人はみな愚かなものだよ、と。それから『窓』。「まど」ということばをくり返す印象的な歌だ。「好きなので歌ってみました」人の作った歌も歌えるようになってきた、と はにかむような笑みで。 でも それだけじゃなかった。 ベルトルト・ブレヒトの『あかんぼ殺しのマリー・ファラー』。長い曲で、しかもテーマがずしりと重い。悲哀をたっぷり含んだ、8分間の小劇。ギターの最後の音の余韻に「あなたはどう思いますか?」の問いが感ぜられた。 私は前の記事で「(人と人が)触れたときには、小さな火花がチリチリ散る。」と書いた。GWANさんの曲でそれは、「草と草のふれあい」として歌われている。名もない草と草が、風にゆれてふわっとふれる。そういう出会いの優しさを漂わせた曲を、アンコールとして。ちょうどよかったと思う。 ‥‥終わりからまた始まる。出会いとともに始まる。 カフェのドアを開けると、そこは真冬の街。北風をくぐり抜け、家にたどりついた私は、ライブの余韻を「湯たんぽ」がわりにして、眠りについた。 (※GWANさんのサイトへはクリックで)

コーエン・ジ・コンビナトリア

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それは先日のこと。たなぐもる空から かぼそい雨。 その線の先端、には高円寺。 「立体」という、不思議な名前の音楽グループがあった。中島弘貴が彼の友人と2007年に結成、2011年まで活動。ライブでは、延々と即行演奏を繰り広げるなど、たゆたう独自の音楽空間を創り出してきたそうだ。 ツイッターを漂白していた私は、たまたま中島さんと出会い、 「どうですか」「いいですね」。 小さな「つぶやき」ただそれだけ。 私はまもなく中島さんに会うことにした。 (約束するのに「こんど」「いつか」は使わない。) ‥‥そして高円寺。古くておもむきのある店。テーブルにはスケッチ一冊。次から次へとわき上がる話を、絵を描くようにそこへ書きとめていく。できあがったのは、一枚の「おしゃべりスケッチ」。 話はめぐってひとつの円(縁)をむすんだ 「コラボ」なんて、はやり言葉は何やら奇っ怪だけど、単純に面白いことを企(たくら)み、「やってみようか」そんな パラッとした感じ。即決即行・軽やか滑空。さっそくの手はじめ、「音楽と絵の共同制作」。パッと 専用サイト を作り、スタート。 ネットもツイッターもかくあるべしと思う。私にとってツイッターはこの世界への拡散装置。自己の増殖、未知への接触。触れたときには、小さな火花がチリチリ散る。ネットはリアルのため。言うだけ見てるだけじゃ つまらない。 阿呆船の阿呆がごとく、海の彼方へ乗り出してゆきたい。 今年はたくさんの人と会い、さまざまな「おしゃべりスケッチ」を作っていきます。