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ぺらぺらの奇人

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私は「奇人」というテーマで絵を描いている。 それを「妖怪」と言われ、あれっと腰の関節がズレるような心持ち。 妖怪さんは、その背中に民族やら風土やらを しょっておられる。純粋でえらい。 奇人は、平凡。ボヨンと凡庸で、まだとても浅い。うすい。 妖怪さんは 稀人*(まれびと)。奇人は 凡人(おぼびと)。 ※描いてみるとあらためてわかる。妖怪の存在感たるやたるや。 妖怪さんは 踊る。奇人は 踊らない。 そもそも「人間に対する妖怪」という構図。奇人にはないと思う。 むしろ奇人は、そのへんにいる 私/あなた/だれか そのもの。 単なるメタなメタフィジーク**。 日常のレイヤーを ぺらっと ひょいっと、めくったところに見えてくる。 メタとは「ぺらっ」「ひょいっ」のこと。 立派な「筋肉機械」みたいな精神(こころ)には、『奇人圖譜』は映らない。 見えないより見えた方が面白いことだってあるのだ。 たまには「ぺらっ」もいい と思う。 すべてはあまりにも近く、感覚的。 ただ 漫然とぼーっと 水草や葦(あし) のように ゆらめいているだけ。 水の流れ、風の渡り。 あるがままに「ただ」あるだけ。「あまねく」いるだけ。 ‥‥それは妖怪さんも奇人も同じかもしれない。 * 折口信夫の学。 ** 形而上学(独)。 反対語はベタフィジークとでも。

そもそもの奇人

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奇人。 人のようでもあり、人でもなし。 あれは9月。旅先の福岡、駅ビルのハンズにて手帳を購入。 飛行機のシートに座るころには、ひとりめの奇人のイメージが頭上にフワフワ。 離陸するまでに奇人ふたり、さっと描き上げてしまった(【新聞男】【乗り物屋】)。 ついで、羽田に着くまでにもうひとり(【果樹園児】)。 旅のあいだ、私には仕事も本も携帯もネットもなく、日常がまっさらで。 何にもない空間には、だいたい何かがヒョッコリやってくるもので。 風向き上向きおあつらえ向き、同じギムナジウムのムジナな無地ページは 有意で優位、 you win な、誘淫剤。 それが「描きたい気持ち」と交わる接点、ポトンと落ちてはワクワクと湧(わ)く。 一冊の無地ノート、一本のペン、が 奇人生成マシーンと化した。 1ヶ月描けば30人、これで一冊。そう目論(もくろ)んで描きつづけ。 それでできたのが 電子ブックの『奇人圖譜』 (きじんずふ)。 数寄者/好奇者/崇綺者さんたちの、ありがたいお声がけをいただきながら、 結果51人まで描き加えてできあがり。10月末のうすぼらけ。 9月。 あのときの飛行機雲で、空にも絵を描けていただろうか。

うっかり迂回路

言葉はいらなくて、絵で語りたい と思う。 でも今「絵で語ろう」を説明するのに、言葉をつかってしまう のは、矛盾。 その辺、くるくるまわる堂堂めぐり。 ※「堂堂」はパッチリあけた目々でもあるし(ちょっとクマになってるし)ドォドォ鳥の「ドォドォ」部分でもある。 ※「まわる」の「回」は回路っぽいし、迷路みたいだし、目がまわる。 つまり「絵で語ろう」を「字で語ってるじゃん」は、「回」みたいな現象なのかもしれない。 ずっと言いつづけているのは(誰に/自分に)、呼吸するくらいの無意識さでもって日々毎々 絵を描けるくらいになりたい ということ。食事するくらいには なれた気はする。 話すように唄うようにどんどん描いていきたい 今は。(明日はもうわからないのだし。) 「あ」と思ったらもう指が動いてなきゃ。 ‥‥「なきゃ」というのもうっとうしいから、その辺にほっぽらかしておき 口笛吹いてあの虹をわたっていきますか。 「バタン!」(倒れた音)おやなんだ、虹は書き割りだったのだ。見世物小屋、ばんざい! 追記) ※ doudou(仏語) なら、幼児が手放せないでいるお気に入りの毛布やぬいぐるみの意味だそう(あのニオイつき)。     それじゃあ「どうどうめぐり」はもはや「胎内回り」、いつまでもくり返す「胎内回帰」じゃあないですか。    ※「迂回路」は「迂回・路」かもしれないけれどもしかすると「迂・回路」かもしれなくもあり。

ヨコヨコ・タテタテ

横尾忠則さんの公開制作である。 ひろい真っ白な部屋、壁にカンパスが立ててある。私は1時間以上遅刻するも、横尾さんはイスに座ってのんびりおしゃべり。どうやら質疑応答タイムのようだ。 初めてご本人を見るけど‥‥飾り気も虚栄も緊張もなし。ジーンズに黒いナイキ。「ほんと言うと、描きたくないんでしゃべってるんです」おー そうだよ そういうものだよ、と私は うれしくなる。 この日は2日目なので、カンバスにはひととおり色が入っている。お客「それはどこのY字路なんですか?」そうか、あれ、路地の絵なんだ(黒っぽくてわかりにくい) 「どこだったかな。北区?北区です。えーと北のほうにある町ですね。あ、ちがうよ。これじゃなくて。こっちだ、文京区。これ2つ、まじってます。まぜて描いてます。だから北文京区」‥‥おもしろい 横尾さん。

ジンジンとムジークの時間

トビラを開けると、もう一枚のトビラ。 二重の皮膜のむこうはもう音楽のマッス(固まり)。 (入り口はなんとステージの脇で、ギクリとした。いったん外に出る。 曲が終わるのを待って、こっそりと身をかがめ侵入。そんな始まりの夜。) せまいカフェでのライブは、立ち見の盛況。 人々は木々、音楽は葉々、つまり箱庭の森。 2組目、ニュー東京スマアトボーラーズさんが音を鳴らす。 バイオリンにアコーディオン、フレンチな香り、だけじゃない。 陽気さの中に切なさの影。クラリネット、ギター、ベースも。 優しかったり頑固だったり、それぞれの主張をかき鳴らしていた。 私の頭の中のイメージはモナド。あと陽気な雨宿り。なんとなく。 3組目、Double Véさん。 がらっと空気が変わる。そこにあるボーカル 岳人さんの「我(が)」。 「暗い曲なんですけどどうしても歌いたいのでやります」。 この方の唄は、詩の朗読だなあと思う。ゴツゴツ、で繊細。 昭和の雰囲気、エレジーも。言葉を追いこんで追いこんで、削りこんでいく。 4組目、ストリングス倶楽部さん。反転して、根っから陽気。 酒を飲もう、陽気に歌おう。ブンチャッ、ブンチャッの2拍子が軽やか。 ハギさん(ギター)とココロさん(サックス)のソロに圧倒されるも、全体絶妙なバランス。 シナプスが指先にまで伸びてメンバー相互リンク、のような。 楽器の洗濯板をなでる指先を見てそう感じた(格好はトナカイさんの着ぐるみ)。 3階の窓ガラスは湯気でくもる。ロックがあっという間に水割りに変わる。 温度も湿度もタバコの紫雲もめいっぱいだ。 5組目のオランさんも「ここ空気うすいよー」。魔法瓶のお茶もさめやらぬまま、 最後の曲はすごい勢い・速いテンポで終わった。私だったら酸欠で倒れるにちがいない。 やっぱり歌う言葉がすごい。オランさんの歌は絵筆なのだと思う。 たねの歌も、君の靴音も、見えない物を描き出す。二重に描き出す。歌詞の中と現実と。 この夜も音楽から血を分けてもらった。新しい出会いに感謝します。

ザリガニズム

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月の話で続けよう。 そもそも月のことをルナといい、ルナティックといえば狂気的という意味だ。 月明かりは人を狂わせるらしい。 満月の夜、醜いケモノに変身するという、人狼伝説もある。 月の女神はアルテミス(ディアナ)。狩りをし、純真潔癖で時に冷酷。 つまり月の印象は、物静かだが、ひいやりとして冴えざえしい。 もしあなたがよからぬことを考えて、こっそり成し遂げたとしても、 ハッとして見上げると、「月が見ている!」のだ。油断禁物。 タロットにも月のカードがある。これまた奇妙な一枚。 描かれているのは、月と城、犬と狼。そしてザリガニ。 ザリガニ? どうしてザリガニ? 不思議だ‥‥ このカードは「夢・まぼろし・不安」を象徴しているそうだ。 池からはいずり出ようとしているザリガニが、異様さをかもし出している。 そこで私も、カードを参考にしてひとつ絵を描いてみた。 鎧(よろい)を着たような月と、おぼろおぼろなザリガニの絵。 とまれかくまれ、諸兄におかれましても、月にはご用心ご用心‥‥ (*ザリガニは、スカラベに通じる意味合いもあるらしい。 スカラベとはフンコロガシのこと。古代エジプトでは死と再生の聖なるシンボル。 とすれば、月の満ち欠け、昇り沈み、天体の運行などのイメージにも合いますね。)

月蝕クライシス

12/10は満月の皆既月蝕。 「千年に一度」とか「500年に一度」「今世紀最後」あるいは 「19年に一度は似たような」・・・ネットを調べるもよくわからなかった。 ともかくも、めずらしい現象。 月蝕のピークでも月は黒くならず、 不気味に赤くただれた景色。 その赤は、太陽光線が地球の大気に屈折し、赤い光が少し月に届くためだという。 あの月はまるで、今の地球の鏡のようではないか。 月に映りこんだ我々の星の姿‥‥このアレゴリーは怖い。 「月蝕はパワーを与えてくれます!」そうなの?どうなの? 私はむしろ吸い取られた感じがしている。 金曜の夜から週明けまでも、うつうつとして 体も心も奇妙におもたっくるしい。 みなさんはどうですか? ラッキー・ハッピーですか? 月は、満ち欠けするし、反射された光だし、 いろいろと問題が多い気がする。物理的にも心情的にも。 たしかに月は好きだ。けれど私は油断できない友のように思っている。 あやつはきれいだが、どうにも怪しいし、妖しいのだ‥‥

描き描く描け

12/7夜に絵を描き、その様子を ネットで中継 した。仕事の多忙がどうやら峠越え、カクカクシカジカ描こう描こう描きましょう、作品とかでなく、ただ描くために描く。となれば勇ましいもの、腕はしなるわペン鳴き紙の目に涙。創作の森めがこんもりと大きな口を開けながら来なよ来なよと呼んでいる。毒も薬もまとめて食らおうそうしよう。そうすっとユースト有してそっと放送するとして、しかしてその気配気づかれ見透かされたか五里霧中。なにやらかにやら描くのに夢中、閲覧客はますますスカスカ少人数。あいや、寒風吹きすさぶ見世物小屋こそ盛り上がる冷たい熱気もさておいて、ににんがさんしのにしんが悟空。ペンもからりと響かせて、如意棒ひとふり觔斗雲(きんとうん)、啊っという間の九十分、プンプン紛々踏んぎりつけようとアイーフォンバッテリ残り数パーセントの哀愁に、はっしと膝をたたいて終了の段、ダダン。‥‥簡単に言いますと「おもしろかった」です。

サイト開き

サマサイトを開設。 このブログも、まとめてオープン。 ここは少しだけ先行していたので、 何日か分の記事があります。 こうしてああして、 いろいろなものがさらけ出されていく ような気もするし、 ペラッとしていて、大したものでもない という気もする。 本家のサイトは まだ欠けた部分があるので、 少しずつ追加していきます。 " sama mode " http://sama.sakura.ne.jp/index_2011

空とぶ音

オランさんは言いました。 東久留米の空には、木琴が浮かんでるんです。 そう思う。 木目鳥さんがきっかけで、ライブハウスに行くようになった。 そうすると、対バン(競演者)の方たちが紡ぐ、新しい音との出会いがある。 先日のライブで。 ステージが暗転、最初がオランさん。アコーディオンが響く。 (リアルの音楽はすごい。あらためて感じる。) 一人目ってやりにくそうだな、と 思うまもなく、 無地の舞台が色とりどりの世界に染まっていくから、おどろく。 拡大鏡や、遠めがね。 野原や空を大きく写したり、遠くの方からから眺めたり。 自由自在に。 「耳から見ている」感覚。 (見えない糸もみつけるし、聞こえない音も聞いてしまう。) そしてオランさんのおっとりした話し方が、空気をほどいていく。 みなさん、だまし舟って知ってますか。 (しりません) 折り紙の、帆を持っていると舟、舟を持つとちがうよ帆だよっていう。 (ああ! なつかしい) 私たち観客は、オランさんのこしらえた舟に乗って、そのあと木目鳥さんや みなさんのパフォーマンスの海を、ゆらゆら流れていきましたとさ。

私(わたくし)する

あきやすいんです。 ブログなんて書くのは久しぶりなので、 こんなに書いてますけど、すぐ書かなくなります。 いや でも書くかな。 どうだろう。 (つまり最初に言い訳、ということです)