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11月, 2011の投稿を表示しています

山水画にもぐりこみたい

絵でも小説でも、その世界に住んでみたい、そういう思いがある。 しかしなかなか、これだという作品には出会えない。 子どもの頃はともかく、社会人になってからは特に。 あとは自分で作るしかない。 絵や文章、CG、インターネット。 媒体を変えながら、ずっとそんなふうに追い求めてきた。 今は絵を描いている。 自分が、そして、できれば皆が、 わあっとしたりうっとりできる、そんな世界を生み出したいのだ。

あなたの不在

まぎれもなく、 このブログの、いちばんの熱心な読者は 私自身‥‥。

その夢分析ください

ひたすら続けたり、数をかさねていくと、 その量的な積み重ねだけで、「価値」が生じてくる。 継続はエネルギーの具現化。 くる日もくる日も、夢の標本を続けている。 12月には400に届く。 1000までいけば、サンプルとしてなにがしかの傾向を発見できるだろう。 100では経験的に見て、少しものたりなさそうである。 1万では、意味の多様性を超えてしまいそうな気がする。 語彙数や感覚、夢のバリエーションを考えたら、 1000くらいがちょうどいいあんばいではないだろうか。 それをどんな変数で「分ける」か。 それがつまらない標本を、面白くする術(すべ)。 最近は「情報をキュレーションする」とかって言うし 昔なら「切り口をさがす」なんて言っていた。 あらためて、まな板の上の素材を見つめる。

夢の標本

夢の標本、つまらないでしょう? つまらないと思います。 Twitterで、夢をつぶやき始めてから、どこかで 「人の夢はつまらないものだ」という書きこみを目にして 気持ちがダウンした。 毎朝、夢を反芻し、ツイートするも「確かにつまらないよね‥‥」 と、自分でも思ってしまう。

私の3.11

3.11によって、冷水をかけられたような目覚めがあったと思う。 怠惰、非生産的、無目的。さまざまな執着。 大事にしていた実は大切でないもの。 それらをいったん自分のテーブルからぶちまけ、 ゼロから積み木をくみ上げる日々。悲しみとともに。 仕事をがんばり、税金を納め、義援金を送り、消費活動をし、自己研鑽する。 省エネ家電への買い替えは、やってよかったと思う。 夏の電気料は3割減。消費と節電で気分がいい。 冷房を我慢し、パソコンを消した時間で本を読んで勉強する。 何年もやっていた無料のネットゲームはもうしない。 ヴァーチャルよりリアルを。 パソコンの中の世界に投資するのではなく、現実のものに投資する。 年をとってからやろうとしていた趣味を、始める。 それが、絵を描くこと。 生活のフォーカスが「将来」「いつか」から「今日」「今」に変わった。 人間、明日はどうなるかわからない。 手応えのあることをしたい。 3.11がなかったら、私のたくさんの絵も、このブログも存在しなかったろう。 願わくば、私が絵を描くことで誰かが喜んでくれて、 あるいは復興の何かの力になれれば。 ・・・今はまだ未熟で微弱な存在だけれど。